茂原 掩体壕 (海軍二五二(ふたごうふた)航空隊)      《波乗り道路・白里インター前》  

日本で現存するのは 鹿屋・南国 よりも茂原が一番多い(11個)との事です

 

掩体壕
昭和16年(1941)太平洋戦争が始まる直前の九月に 木崎 谷本 町保 新小轡 本小轡内の約150戸と東郷小学校及び寺社等が 強制移転を命じられ 茂原海軍航空基地(戦略上は海軍二五二航空隊)の建設が始まった 基地本部跡はいま萩原小学校 兵舎跡は茂原中学校であり 三井東圧化学鞄倦、の約1,000m道路は 当時の滑走路跡で 基地の東端はいま 東郷保育所前の通称海軍道路と呼ばれているあたりである
この掩体壕は航空機を滑走路から誘導路を走らせて壕に納め敵機からの攻撃に備えた壕である
20数基築造された中では最大の規模で 総面積三六五u 壕の中の面積二八六u 高さが六m七0cmある
戦時中で基地造成の人手が不足していたため 当時の長生中学校や 茂原農学校の生徒 周辺の人達を動員して急いで造った
築造方法は土砂を壕の形に盛って転圧して莚や板を並べ その上に金網や鉄筋を張ってセメントを流した 厚さは三0−五0cmと均等ではないようである また計算通りのセメントが間に合わず後から付け足したのも観察できる
五0余年を経た今日 茂原海軍航空基地を語る数少ない遺跡である
平成七年八月十五日 茂原市教育委員会

昔 茂原にあった 海軍の飛行場
その近くに 掩体壕(えんたいごう)がその名残を語っています
上のはそこに立っている説明板の控えです ちなみに当店の初代店主(昭和2年生まれ)も「勤労奉仕に行ったなー」と言ってました
まだいくつか(9個? 11個?)現存していて写真のは「艦爆」用で「零戦」用のは少し小さいとの事 近くにトイレはありません 料金はかかりません
12mもすぐ脇には付けられますが 方向転換はむずかしい
128号カインズホーム(腰当交差点)から1キロくらい
白里から笠森観音へ行く途中です
*この中に実物大の飛行機の模型があったらいいと思いませんか!**

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